原告夫の思い

『楽』の名前は、『楽しく生きて命を全うしてほしい』という願いが込められています。

楽が咬みつかれ手術をした、2018年3月28日。

会社から帰宅した私を嬉しそうに迎えてくれる元気な楽の姿はどこにもありませんでした。

肛門付近に縫合のあとが3か所あり、浅い呼吸を繰り返しぐったりしていました。

妻から診察・診断について、咬傷事件の状況、被告の対応を聞きました。

  • 楽は被告犬から引き離された後、かろうじて立ったものの腰が引け、血がポタポタと垂れていた。
  • 下がった尻尾をあげて確認すると臀部は血だらけで、どこが出血箇所なのかわからない状態だった。
  • 体はガタガタと震え、抱き上げた妻の手に血がいっぱいついた。
  • 被告は笑いながら被告犬に水をかけ「反省させといた。」と言った。
  • 病院に同行することはなかった。

楽の傷害の酷さを物語る、血だらけのタオルを見たときに、被告犬は危険な犬であると認識していた私の判断は間違っていなかったのだと思いました。

従前、夫婦で楽を散歩させているときに、伸縮リードで自由に動き回っていた被告犬が歯をむき出して楽に突っ込んできたこと、それを楽はぎりぎりのところで躱していたところを見て、「被告犬とは距離を取ったほうがいい。」と妻に伝えました。

妻は、被告本人、被告犬の被害に遭った犬の飼い主たちから、「被告犬が咬みつくと聞いているから、距離は十分取っている。」と言っていました。

「私は楽と散歩してんのに。何で人はあんなに群れたがるんだろう、めんどくさいわ〜。」と言うのが妻の口癖でした。

被告・被告友人は尋問時に、「1~2mの距離で3人で立ち話をしていた。」と主張しました。

『犬を連れた状態でそんな近くで話すのか』『そもそも楽が被告犬を怖がっていることを知っていたのに、それを無視してまで、妻と被告は近づいて話をするような間柄ではない』ことを知っている私は驚きしかありませんでした。

コロナで仕事形態が変化し、私も散歩に行く回数が増えました。

「ノーリードが多い。犬が走って来ても『大丈夫だから』『うちのコは誰とでも仲良くなれるから』と言う飼い主がいるから。」と妻に聞いていましたが、実際、散歩に行くとその数の多さに驚きました。

あるとき、毎日、車でやって来て路上駐車をし、通学路、公園で犬をノーリードにして遊ばせている夫婦に注意をしたことがありました。

「あんたの土地なの!」「あんたが法律牛耳ってるの!」と怒鳴ってくるので警察に通報しようとすると、慌てて車に乗り逃げて行きました。

ノーリードはその夫婦だけではありません。伸縮リードを伸ばしっぱなしにしたり、20~30mあるリードで散歩をする飼い主たちも見かけます。

「この界隈は異常。」と妻がよく言っていた意味が理解できました。

2021年5月14日。2年以上かかった裁判も判決を迎えました。

当初は判決を迎えれば終わりだと考えていましたが、私たちが暮らす地域のノーリードの現状を見れば、終わりはないのだと思います。

ノーリードが無くならない限り、咬傷事件は繰り返されます。

ノーリードをしている大人を見て育った子供たちはそれを当然の行為だと思うかもしれません。

そういう子供たちが大人になりノーリードをし、またその子供がノーリードをするという悪循環が生まれるかもしれません。

加害者である被告は裁判が終われば、何事もなかったかのように日常に戻れるのでしょう。

でも私たちは一生、咬傷事件の傷を背負って生きていきます。

楽が聞いたことのない悲鳴をあげ続けたほど酷い咬傷事件だったこと、心身ともに後遺症が残ってしまったことで妻は自分を責めています。

私たち家族の人生は一変しました。

犬のしつけができていると思っていても、瞬時に色々なものに反応するので、全てを制御するためにはリードは必須です。

『リードは必要』という当たり前について、私たちは今、真剣に考えなくてはいけないときがきたのではないでしょうか。